前回のワークショップで「感情表現トレーニング」というレッスンをやりました。
私の担当は、
(不機嫌に)
(男)おい、いつまで黙ってるんだ! オタンコナス!」
(女)ねえ、いつまで黙ってるのよ! ガンコなんだから!
元々のレッスンは括弧内の感情を込めて台詞を言うだけです。今回はそのレッスンに加えて、台詞を言うときの状況をそれぞれ想像して発表してみようという課題を出しました。
私はコンビニで万引きをして捕まった妻を引き取りに行く夫という状況を設定しました。コンビニの事務室で黙ったまま反省した様子もない妻に向かって発する台詞です。
ところが言いながら何か違和感がありました。台詞を聞いていた団員からも「オタンコナス」という言葉の意味について質問がありました。私は違和感の原因がこの「オタンコナス」という言葉だと思い、家に帰ってから確認しました。調べてくれた女性の団員がなぜか意味を発表することに躊躇していたのも気になりました。
「おたんこなす」の元の形は「おたんちん」で、吉原遊廓の遊女達が使っていた符丁だそうです。好きな客の場合には「ねこ」と言い、好かない客は「おたんちん」。
ネコという動物は一日中寝ているから「寝子」と呼ばれたという説がありますが、遊女もまた「寝る」のが仕事なので遊女を表す言葉でもありました。そういう遊女たちが進んで寝たいと思う客だから、好きな客を「ねこ」と呼ぶのでしょうか。
一方「おたんちん」は「御短チン」という意味です。説明は必要ありませんね。「おたんこなす」は「チン」をその形状から「小茄子」に喩えたのだそうです。
ということで、「おたんこなす」はもともと女性が男性に向かって言う言葉なんですね。
今では「おたんちん」も「おたんこなす」も間抜けな相手をののしる言葉として性別に関係なく使われる語ですが、やはり女性が男性に言った方がしっくりきます。これが私の違和感の正体だったのかもしれません。
意味的にはまちがっていなくても、語源などの影響でなんとなく使い方が制限される言葉ってあると思います。
たとえば「つるむ」という言葉。江戸時代にはすでに「連れ立つ」という意味で使われていましたが、
もともとは「交尾」を意味する言葉です。今でも若い女性などが使うとちょっと違和感があります。
趣味とはいえ脚本や小説を書いている私としては、このような語源や語感にも敏感にならなければならないとあらためて感じるできごとでした。
この記事へのコメント
ソブ
今は両語とも、“死語”の世界に行ってしまいましたね。